目次
1. はじめにー世界遺産・原爆ドームの概要ー
原爆ドームは、原爆の脅威とその悲惨さを現在に伝える建造物であり、1996年に世界文化遺産に登録されました。世界遺産を構成する文化財は、原爆ドームのみとなります。平和記念公園や広島平和記念資料館などを合わせて訪問することも多いですが、これらは登録基準の観点から世界遺産の構成資産には含まれていません。
この記事では、原爆ドームが世界遺産に登録された理由や、原爆ドームと名付けられる前の広島県産業奨励館としての歴史など、原爆ドームに関する全体像をつかめる内容となっています。
2. 世界遺産に登録された理由
ここでは原爆ドームが世界遺産に登録された基準や、「負の世界遺産」としての側面について紹介します。
登録基準と背景
原爆ドームは、人類の歴史の中で初めて使われた核兵器の破壊力の凄まじさを伝え、世界平和と核兵器廃絶を訴える人類共通の記念碑であるとされています。世界遺産への登録にあたり、10個ある基準のうち「顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの」を満たしています。
原子爆弾の爆心地付近で、当時から残されている唯一の建造物であることや、広島市民をはじめ、多くの人たちの努力により、爆弾投下直後とほとんど同じ状態で保存されてきたことなどが評価されています。
人類の負の遺産として
原爆ドームのように人類が起こした恐ろしい出来事を現在に伝え、そのような悲劇を繰り返さないための戒めとなる世界遺産は「負の世界遺産」と呼ばれています。これは世界遺産の登録を管理するユネスコが公式に決めたものではなく、遺産の持つ歴史的背景などから研究者などにより呼ばれるようになりました。なお、負の世界遺産には明確な定義は存在しないため、見解が分かれています。
負の世界遺産としては、1940年代から50年代にかけて核実験が行われてきたビキニ環礁の核実験場(マーシャル諸島)や、第二次世界大戦中にユダヤ人が虐殺された強制収容所であるアウシュビッツ(ポーランド)などが代表例です。
原爆ドームは世界恒久平和を訴える象徴的な存在として、海外からの旅行者だけでなく、諸外国の要人も訪れています。2016年には当時のアメリカ大統領、バラク・オバマ氏が訪問しました。旅行者を案内する際、旅行者の出身国の国家元首などが訪問した実績があるか調べるとよいでしょう。
3. 世界遺産になるまでの経緯
ここでは原爆ドームが世界遺産として登録されるまでの変遷を紹介します。被爆をする前の時代から、被爆後の保存や世界遺産登録に向けた署名活動などについて解説します。
広島県物産陳列館として誕生
広島市は戦国時代より城下町として栄えてきましたが、明治時代に入ると、中国地方における中心都市として急速に人口が増加しました。人口の増加に応じた雇用が十分に生み出されていなかったため、産業振興が大きな課題でした。
そのような背景から、地域の物産品を紹介する施設として、1915年に誕生したのが広島県産業奨励館でした。ここでは物産展が開催され、農産物や工業製品が売買されたことに加え、美術展や博覧会の会場としても使われていました。現在でも全国各地にある産業会館や文化会館のような存在でした。
チェコの建築家ヤン・レツルによって設計されました。レンガや石材などが使用されたヨーロッパ風の3階建ての建築で、川面に映える美しさから、当時から広島の観光名所の一つに挙げられていました。当初は「広島県物産陳列館」でしたが、被爆当時には「広島県産業奨励館」と名前を変えていました。
原爆投下による被害
しかし、1945年8月6日午前8時15分に広島県産業奨励館のほぼ真上で原爆が爆発しました。爆風、熱線などによって、約14万人がその年の年末までに亡くなりました。さらに多数の人々が負傷し、現在でも放射線の後遺症に苦しんでいる人たちも多くいます。
建物の被害も大きく、爆心地から半径2kmの範囲では、ほとんどの木造家屋は倒壊しました。鉄筋コンクリートの建物は崩壊を避けられることもありましたが、窓や家具類が吹き飛ばされ、内部は焼失するなどの甚大な被害を出しました。
広島県産業奨励館も、倒壊はしなかったものの、爆風と熱線によって建物が全焼しました。館内にいた人は全員即死だったと言われています。戦後、建物の残骸は特徴的な丸い屋根の形から、原爆ドームと呼ばれるようになりました。
保存工事
原爆ドームは原爆の惨禍を表す象徴的な存在として認知されるようになりましたが、1960年代には風化が進み、建物が崩壊する危険性がありました。一部の市民からは、原爆のことを思い出すので取り壊してほしい、という反対意見も出ましたが、最終的には保存が決定しました。接着剤の注入や鉄骨を設置するなどして、補強工事が行われました。その後も工事が行われ、現在までに合計5回の保存工事が実施されています。
世界遺産への登録
1992年に日本政府が世界遺産条約を結んだことをきっかけに、広島市民を中心に世界遺産登録に向けた活動が活発となりました。広島市議会から世界遺産登録への意見書が出され、全国的な署名運動も行われました。165万余りの署名が集まったことも後押しとなり、国としての推薦がなされ、1996年の世界遺産委員会において登録が決定しました。
4. おわりにー原爆ドームに関連して案内することー
この記事では、原爆ドームが世界遺産に登録された背景を紹介しました。
平和記念公園内にある広島平和記念資料館や原爆の子の像などは原爆ドームと合わせて訪問されます。これ以外にも平和記念公園周辺には、袋町小学校平和資料館や旧日本銀行広島支店など原爆の爪痕が残されていたり、原爆に関する展示を行っている施設もあり、それらを案内する機会もあります。
また、原爆ドームを案内する際には、長崎における原爆被害や第五福竜丸事件に加えて、核兵器の仕組みや世界の核保有国、核廃絶に向けた運動などについても触れるので、それらに関する下調べもしましょう。
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