【日本の料理】代表的な料理のルーツ知ろう ~近現代の料理編~

ナレッジ

1. はじめにー日本の料理について案内する場面とはー

海外からの旅行者は日本での食事を楽しみにしています。旅行者と食事する際、料理の味を楽しむことに加えて、いつ頃食べられるようなったか、どのような変遷をたどって現在の形になったかといった背景を待ち時間などに説明すると、料理の魅力をより一層感じてもらえます。
この記事では、近代以降に日本で食べられるようになった、ラーメン、お好み焼き、カレーなどの比較的歴史の短い料理について、その歴史や由来を紹介します。伝統的な日本の料理とは異なり、外国の食文化を取り入れながら、独自の食文化として発展したことに特徴があります。

2. ラーメン


ラーメンは中華そばという呼び方もあるように、中国の影響を大きく受けてできた料理です。そのルーツは横浜の中華街にあります。1859年に貿易港が開かれ、多くの外国人が日本にやって来ました。その流れで、中国の人たちも日本に移り住むようになり、中華街に中国料理店が増加しました。次第に横浜に限らず、中華料理が人気となりました。

1910年に東京でオープンした「来々軒」は、中国の麺料理と日本の食文化を融合させたお店で、日本で最初のラーメン店といわれています。そこから東京や横浜を中心にラーメンの文化が定着し、全国各地へと広まっていきました。地域の食材を使い、店主たちの創意工夫が加えられることで、現在のような多種多様なラーメン文化が築かれました。
旅行者に対しては、上記のようなラーメン全体の歴史の紹介をしつつ、札幌ラーメンや博多ラーメンのようなご当地ラーメンができた背景も合わせて伝えるとよいでしょう。

3. カレー


カレーも、当初の形態から変化を遂げた料理です。インドを植民地支配していたイギリス人がインドカレーを自国に持ち帰って、小麦粉を加えるなどアレンジをしたものが日本へ伝わりました。さらに日本で進化をしたものが、現在の日本のカレーとされています。

カレーが初めて日本の文献で登場するのは江戸時代の終わり頃ですが、実際に食べられるようになったのは明治時代からです。どのように伝わって普及したのかは明確ではありませんが、陸軍の昼食メニューに採用された記録や、「少年よ大志を抱け」で有名な札幌農学校のクラーク博士が、生徒たちに勧めていた逸話などが残っています。明治時代後半から大正時代には、現在食べられているカレーうどんやカレーそばなど、伝統的な料理と融合した料理ものも登場しました。

4. 肉料理(すき焼き、しゃぶしゃぶ、鉄板焼き、とんかつ)

すき焼き、しゃぶしゃぶ、鉄板焼き、とんかつなどの肉料理も、旅行者に人気があります。それぞれの料理の起源について解説する前に、まずは日本人の肉食文化について紹介します。

古代に仏教が伝来してから、日本では肉食は避けられる傾向にありました。全く食べなかったわけではありませんが、たんぱく源としては魚や大豆から摂取する時代が長く続きました。転換期はラーメンと同じく開国がきっかけでした。西洋人が日本に住むようになり、肉食文化が持ち込まれました。当時、文明開化の流れで西洋人の生活文化を真似ることが一種のステータスとなり、特に肉を食べることがひとつの象徴的な行為だったそうです。

日本で定着した肉料理には、鉄板焼きのように西洋の料理に近いものもありますが、すき焼き、しゃぶしゃぶなどのように、日本の食文化と組み合わせながら、独自に発展したものが数多く存在します。

すき焼き


すき焼きの起源は諸説あります。江戸時代末期に浅めの鍋で魚介類などを醤油たれで煮付けた「魚すき」であるという説や、農作業中に鍋代わりに鋤(すき)を使って、味噌や醤油で味付けをした「鋤焼き」であるという説が有力です。
牛肉を入れたすき焼きは明治時代に普及しました。それまで禁止された肉食が許されるようになると、関東では「牛鍋屋」、関西では「すき焼き屋」が流行し、家庭でも次第に食べられるようになりました。

しゃぶしゃぶ


しゃぶしゃぶの起源として有力な説が二つあります。一つは中国の火鍋料理、「涮羊肉(シュワンヤンロウ)」が終戦直後に伝えられたとするものです。涮羊肉は薄く切った羊肉をスープに入れてさっと火を通す料理で、日本の食文化に合わせて具材や味付けなどを変化させたと言われています。
もう一つの説は水炊きの派生だとするものです。昔から水炊きには魚介類や鶏肉などと並んで牛肉も使われていました。大阪のある飲食店が、おしぼりをたらいの中ですすぐ様子が鍋で肉を加熱する様子に似ていることから牛肉の水炊きを「しゃぶしゃぶ」と命名し、それが人気になったと言われています。

鉄板焼き


昭和初期までは食材を焼く際、木炭を燃料に七輪などで加熱する方法が一般的でした。料理人が鉄板を使ってステーキなどを調理し、カウンター越しの客に料理を提供する鉄板焼きのスタイルは、神戸発祥のステーキ専門店「みその」が寿司店からアイデアを得て、1945年に始められたと言われています。
1960年代に海外の日本食レストランで鉄板焼きのステーキを提供したことをきっかけに、日本独自の料理として海外でも次第に認知されるようになりました。海外の鉄板焼き店ではシェフのパフォーマンスや手さばきも楽しめることから、外国人に好まれています。

とんかつ


とんかつには130年ほどの歴史があります。その起源は仔牛肉にパン粉をつけて炒め焼きするコートレットというフランス料理にあります。
明治時代、フランスの食文化も流入した日本では、コートレートを真似て鶏肉や牛肉で作った「カツレツ」が生まれました。その後、1890年代には東京・銀座の「煉瓦亭」で豚肉を使った「ポークカツレツ」という料理を売り出されました。これが、とんかつのルーツとされています。その後のはっきりとした記録はありませんが、1910~20年代にかけて「とんかつ」の名称が使われるようになり、1930年代にはとんかつ専門店が人気となり、日本の料理として定着しました。

5. 粉もの(もんじゃ焼き、お好み焼き、たこ焼き)

お好み焼き、たこ焼き、もんじゃ焼きなど、いわゆる粉もの(こなもん)と呼ばれる料理も日本を代表する料理として海外で紹介されることが多いです。いずれの粉もの料理も起源は共通して戦国時代に千利休が考案した麩の焼きだと言われています。和菓子であるものの、小麦粉を水で溶いて焼くという調理法が粉ものと似通っていることから、原型であるとされています。

現在のような形へと変化したのは明治時代から大正時代にかけてです。小麦粉を水で溶いて焼いたもの(もんじゃ焼き)に、イギリスから持ち込まれたウスターソースで味付けした洋食焼き(一銭洋食)が登場しました。そこからソースを改良したり、キャベツなどの野菜やタコ、イカといった魚介類を取り入れ、次第に料理が個別に進化した結果、多様な粉もの料理が生まれました。

もんじゃ焼き


「もんじゃ焼き」の名前の由来は、「もんじやき(文字焼き)」が訛って「もんじゃ焼き」になったと言われています。もんじゃ焼きの起源は江戸時代末期から明治時代にかけてだと言われています。駄菓子屋で小麦粉を水に溶いて鉄板に字を書き、子供たちに文字を教えながら、遊んでいたのが始まりです。
洋食焼きのようにソースを塗ったり、キャベツ、コーンや揚げ玉などの具材を入れるようになりましたが、あくまで駄菓子でした。現在のもんじゃ焼きの形になったのは戦後でした。経済成長に伴い、東京では駄菓子屋が激減しましたが、幼い頃から親しんできた味を残したいと、もんじゃ焼き店が立ち上がり、今のような大人のおつまみへと変化しました。

お好み焼き


大正時代から子供たちに食べられていた洋食焼きに、豚肉をのせて大人向けの食べ物にしたのが「お好み焼き」です。具材も豚肉だけではなく、海産物や野菜を使うなどそれぞれの地域で進化していきました。焼いた生地の上に具材をのせる「重ね焼き」は広島で受け継がれ、さらに中華麺を入れるようになりました。生地に具材を混ぜる「混ぜ焼き」は大阪を中心に広がっていきました。

たこ焼き


洋食焼きをもとに誕生したラジオ焼きから、さらに進化したのがたこ焼きです。ラジオ焼きは明治時代から大正時代に流行した食べ物で、たこ焼きと同様、球状にくぼんだ鉄板で焼いて作ります。具材には牛すじ肉やこんにゃくが使われていました。1930年代に大阪でラジオ焼きの屋台を営んでいた人が、タコの入った卵焼きである明石焼きから着想を得て、ラジオ焼きにタコを入れてました。それが現在のたこ焼きとなりました。

5. おわりにー関連記事の紹介ー

この記事では近代以降にできた日本の料理の由来や歴史について紹介しました。食事などで旅行者を案内する際は、料理の説明に由来や歴史を交えてストーリー立てて伝えると、旅行者の印象に残りやすくなるとともに、食事の会話も活発になるでしょう。この他にも、日本で古くから伝わり、海外でも認知度の高い、寿司、てんぷら、うどんなどの伝統的な料理について解説した記事も掲載していますので、参照ください。

関連記事

特集記事

TOP