目次
1. はじめにー日本における仏教の重要性ー
観光地として有名な寺院は数多く存在することから、仏教について話す機会は自然と多くなります。仏教とはどういった宗教なのかを理解しておくことは、外国人を案内する上で重要です。
仏教は、紀元前にインド北東部で釈迦(しゃか)が開いた宗教です。インドから時代とともに、アジアを中心に世界各地へ伝わっていきました。特に東南アジアのタイでは、9割以上が仏教徒であり、社会的に出家が奨励されるなど、仏教が広く浸透しています。
日本に仏教が伝わったのは6世紀のこととされていますが、仏教はそれ以来、日本の文化や習俗、日本人が根本に持つ哲学や死生観に大きな影響を及ぼしてきました。
この記事では日本への伝来の歴史、仏教の宗派、仏像の種類など、ガイドをする上での基礎となる情報を紹介していきます。
2. 仏教の特徴
ここでは仏教の特徴について、その世界観、宗派の違いや仏像の種類に分けて紹介します。仏教全体に通ずる考え方を押さえつつ、日本ならではの仏像など、日本仏教の独自性について説明します。
仏教の世界観
仏教において、生きることは苦しみの中にあるとされています。老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、そして生まれ変わり、その苦しみを繰り返す、輪廻の苦しみ。これらを合わせて四苦といいます。そして、愛する人と別れる苦しみ、嫌いな人と会う苦しみ、求めるものを得られない苦しみ、心身が思い通りにならない苦しみ。全てで四苦八苦と言います。
そうした苦しみと、煩悩(人の持つ欲やこだわり)から解放されることを「悟りを得る」と言います。
仏教はキリスト教やイスラム教といった他の宗教とは異なり、究極的には自分自身をこの悟りの状態に置くことを目標としています。仏教という教えとその修行の数々は悟りに近づくための道であり、どんなに偉く、徳の高い人であっても修行をしなければ悟りは得られないという考え方が仏教にはあります。
宗派ごとの違い
釈迦が開いた仏教は弟子たちによって各地へ広まりましたが、その過程で考え方と解釈の違いから様々な宗派に分かれました。大きな分類としては「上座部(じょうざぶ)仏教」と「大乗(だいじょう)仏教」があります。
現在、タイやカンボジアで信仰されている仏教は「上座部(じょうざぶ)仏教」と呼ばれるものです。特に自身の修行を重視しており、釈迦の教えにより忠実な考え方であるとされています。この考え方はインドからスリランカを経由して各地へ伝わっていきました。
一方で、インドからチベット、中国、そして日本へ伝わった仏教は、より多くの人に仏教の教えを広めることを重視しました。この考え方は「大乗(だいじょう)仏教」と呼ばれ、さらに様々な宗派に分かれていきました。
大乗仏教の考え方を継承する日本の仏教においては、主に13の宗派があります。宗派ごとに、戒律を重視する宗派(律宗)や、瞑想を重視する宗派(真言宗)や、座禅を重視する宗派(曹洞宗)、多くのお経の中でも特に法華経を重視する宗派(日蓮宗)などがあげられ、修行の方法、悟りへ至る手段の解釈に少しづつ違いがあります。
仏像の種類について
各地の寺院へ訪問すると様々な仏像を見かけますが、それら仏像は大きく4つに分類されます。
如来(にょらい)
代表的なもの:大日如来、釈迦如来、阿弥陀(あみだ)如来、阿閦(あしゅく)如来など
如来は「理想的な状態から来たもの」という意味であり、仏教の修行を終え、悟りを得た者の姿であるとされています。欲望から解き放たれているため、装飾品を身に着けることもありません。
菩薩(ぼさつ)
代表的なもの:弥勒(みろく)菩薩、文殊(もんじゅ)菩薩、普賢(ふげん)菩薩、虚空蔵(こくぞう)菩薩、地蔵菩薩など菩薩は「悟りを求める者」という意味です。人々の救済、悟りの手助けをし、また自身も修行中である者の姿とされています。出家前の釈迦の姿を映した像が多く、髪を結い上げ、様々な装飾品を身に着けています。
明王(みょうおう)
代表的なもの:不動明王、愛染(あいぜん)明王、大威徳(だいいとく)明王、軍荼利(ぐんだり)明王など明王は密教における特有の仏像で、「呪文の王」という意味があります。仏教の教えに従わない者を怒りの形相で教えに導く仏像で、多くの腕に様々な武器を持つ姿、炎を背負った姿で表される場合が多いです。
天部(てんぶ)
代表的なもの:梵(ぼん)天、帝釈(たいしゃく)天、弁財天、大黒天など
天部はインドで祀られてきた神々が仏陀と仏教に魅力を感じ、仏教と人々を守護するようになった姿とされています。例えば、梵天はインド神話の創造神・ブラフマーであり、大黒天はシヴァ神が仏教を守護するようになった姿です。これらの他にも、寺院によっては、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)など神道の神の像が祀られていることもあります。
3. 仏教の歴史
ここでは仏教の歴史について、インドで誕生した起源から日本へ伝来し、神道と関わり合いながら発展してきた変遷をお伝えします。
仏教の起源
仏教は約2500年前、インドの北東部で釈迦によって開かれました。釈迦は仏教界では「目覚めた人」という意味である「仏陀(ぶっだ)」とも呼ばれます。
釈迦は王族の息子として生まれ、豊かな生活をしていました。しかし、その恵まれた暮らしの中で人生の苦しみや無常を感じます。釈迦は妻子を捨て、出家をし、修行を通じて悟りを得て仏陀となりました。
仏陀は弟子を取り、仏教を人々に伝えるべく各地へ布教の旅をしました。旅の中で多くの優れた弟子を得て、80歳で亡くなりました。死後に彼の教えは弟子たちによって世界各地へ広がっていきました。
日本への伝来
インドで開かれた仏教は中国などを経由し、6世紀頃に朝鮮半島から日本へやってきた僧侶によって伝えられました。日本には神道が既に存在していたこともあり、仏教の信仰を巡って論争が起きました。仏教に帰依していた推古天皇、聖徳太子などが政治の実権を握ったことから、日本各地に寺院が建てられ、信仰が広がりました。
10世紀頃になると、仏教と日本人の日常生活の一部となり、神道とも深く結びつきを強めていき、神仏習合という考え方が生まれました。仏堂を神社の境内に建てたり、神社の参拝者が身を清める手水舎が寺にも設置されるなど、神道と仏教は互いに混ざり合うようになりました。
加えて、平安時代の終わりごろには「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」という、日本の神は本来仏が姿を変えたものである、という考え方も出てきました。今でこそ「神社では二礼二拍手一礼、お寺は合掌して拝む」といったルールがありますが、明治時代になるまでは、神社でお経を唱えることもおかしなことではありませんでした。
やがて江戸時代になると、寺院はただの宗教施設ではなく、現代の役所としての機能を持つようになります。すべての人はいずれかの寺に「檀家」としてお布施を行い、寺では「檀家」の戸籍を管理しました。そのため、町中に多くの寺院が存在するようになりました。
しかし、明治時代になり、江戸幕府が倒れると状況は一変します。戸籍の管理は政府の管轄となっただけでなく、国をまとめていくため、明治政府によって神道が国教化されました。神仏習合の関係を解消し、神道と仏教を明確に区別するため「神仏分離令」が発布されました。
神仏分離の動きは明治維新の熱狂の中で過激化しました。後に廃仏毀釈と呼ばれる仏教排斥運動において多くの寺、仏像が焼かれ、失われました。現代において寺院は寺院、神社は神社として、信仰されるのにはこうした背景があります。
4. おわりにー関連する記事の紹介ー
この記事では、仏教の特徴とおおまかな歴史についてご紹介しました。実際にガイドとして案内する上では、仏教の基本的な考え方や、仏像についての説明が多くなります。また、神仏習合と廃仏毀釈については、初めて日本を訪れた旅行者には理解が難しいため、リピーターや在留外国人など、ある程度歴史に詳しい場合にのみ説明する方がよいでしょう。
寺院を訪問した際にはお参りすることに加えて、座禅や写経などの体験を旅行者に案内する可能性も想定されます。
ガイドナビではそのような仏教にまつわる案内方法に関する記事も掲載しています。そのほか、仏教に関連する記事も掲載しているので、ぜひチェックしてみてください。