【コラム】置かれたままのパスポート(転ばぬ先のガイド事件簿)

エピソード

このコーナーでは、皆さんの今後の活動の参考にしていただくよう、全国のインバウンドガイドの様々な体験、失敗談のエピソードを紹介致します。今回は東京都在住でFIT専門の全国通訳案内士、鴨脚(いちょう)里子さんにお話を伺いました。

トラブル発生! お客様はご機嫌斜め

この春、鴨脚さんはアメリカの富裕層のご夫婦と14歳のお嬢さんの3人家族をお迎えしました。この方たちはLAの空港で搭乗前にPCR検査が必要だと発覚、予定した飛行機に乗れず半日遅れの来日となり、かなり気分を害されているとの報告を受けていました。

心の準備をして、箱根行きの朝、都心の4つ星ホテルに向かいましたが、なかなかお客様が現れません。翌日の京都移動に向けて、旅行会社の指示の通り大きな荷物の京都別送をベルデスクで手配し、フロントでお客様をお待ちしますが、なかなかお見えになりません。「Satokoです。私はホテルに到着し、荷物の京都別送の手配も完了しています」とメッセージを送り、更に待つうちに出発予定の時間が過ぎてゆきました。

そして、ようやく繋がった電話の第一声は奥様の怒鳴り声でした。
「ベルデスクで待っているけど、あなたはどこに居るの?」
「荷物を送るとはどういうこと?そんなこと聞いていない!」
大急ぎでベルデスクに駆け付けるとご夫婦はスーツケースを広げて、
「別送なんて聞いてない!手荷物用のバッグも無いのに、突然そんなことを言われても困る!」
「荷造りをしていたら、京都行きの新幹線に乗り遅れる」
「私達、朝食もとっていない!」「この旅は最悪だ!」
と怒鳴り続けます。
ご両親の怒号が飛び交う中、お嬢さんは覚えた日本語で一生懸命自己紹介をしてきてくれました。鴨脚さんは怒号とお嬢さんの対応とに困惑しつつ、状況の鎮静化に努めました。

鴨脚さんは「時間はあります。まずはゆっくりとお話ししましょう」とご家族をレストランにお連れしました。そして、ご夫婦が旅程を把握していないことが誤解の原因とわかりました。
今日は京都へ行かない、これから車で箱根に向かうので時間は大丈夫、京都へ行くのは明日であり、それ故スーツケースは別送した方が楽になる、などを説明しました。

やっと落ち着いたお客様と鴨脚さんは箱根に向かいました。ところが、また別の問題が発生、しばらくしてお客様のスマホにホテルから電話があり「お部屋にパスポートが残っている」というのです。

その時ガイドがとった対処法は?

鴨脚さんが電話を代わって、パスポートは同系列である予約の京都のホテルに送ってもらう、ということになり、東京まで戻るような事態は回避出来た、と思われました。

ところが、夕方お客様と別れてからホテルに確認すると、マネージャー判断で「パスポートのような貴重品を京都のホテルに送ることは出来ない」と、対応が変わっていたことがわかりました。「お客様の同行者と確認済みの鴨脚ガイドが、当ホテルまで直接受け取りに来ればお渡しする」ということでした。
鴨脚さんは着いたばかりの箱根の宿を出て、強羅からタクシーと新幹線利用で東京に戻り、ホテルでパスポートを受け取り、翌朝早く箱根に戻りました。

トラブルの原因はどこに?

出国前からトラブルに見舞われたこともあり、その朝のお客様のご気分は最悪でした。
「それを鎮めて頂けるように穏やかにお話しし、別送と手荷物を分ける荷造りのお手伝いをするなど、お客様に寄り添うことの全てを尽くしたつもりでした」。
「でも、お部屋に残した物の確認を怠りました。一言そこで “パスポートはお持ちですね?”と聞いていたら、このトラブルは防げました」。
ストレスの塊になって興奮しているお客様のお相手をするのに精一杯で、そこまでの心のゆとりが持てていなかったと、鴨脚さんは省みます。

転ばぬ先の防止策は?

お客様の不機嫌は、京都に入ってからも続きました。奥様の体調を考慮してホテルを変更した影響で、予約していたレストランも変えざるを得なかったという事情があったのですが、食事も不満だったとのことでした。

しかし京都滞在の2日目、奥様の態度が変わりました。
「これまでの無礼を許してほしい。あなたが毎日懸命に心を砕いて対応してくれたのはよくわかっています。でも私たちはいろいろなことに困惑して、その苛立ちを全部あなたにぶつけてしまったのです。
娘もあなたのことは信頼しているし、これからもずっと一緒にいてくれないかしら」とおっしゃったのです。

「私も胸が熱くなりました。そして、最後にはお互いに笑顔でお別れすることが出来ました」。
どんな状況になっても誠心誠意ゲストに接することで、お客様の信頼を得てよい関係が築ける、と再確認した鴨脚さんでした。

(執筆:舟橋 宏/GICSS研究会)

鴨脚 里子 イチョウ サトコ(全国通訳案内士)

岩手県釜石市生まれ。高校在学中に、米国へ一年間留学。ホテルコンシェルジュ、航空会社客室乗務員、オートクチュールブティックでの業務経験を基に、2016年より全国通訳案内士として、FITを中心に全国を案内している。

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