1. はじめにー日本で初めて世界遺産に登録された法隆寺ー
この記事では、世界文化遺産「法隆寺地域の仏教建造物」について紹介します。世界遺産に認定された理由と、構成資産である法隆寺と法起寺(ほうきじ)の特徴などを解説しています。
法隆寺地域の仏教建造物は、1993年に姫路城、白神山地、屋久島と並んで、日本で初めてとして世界遺産に登録されました。7世紀初期に建造された世界最古の木造建築であることや日本の仏教の発展を感じられるといった歴史的・文化的な価値が評価されています。
この世界遺産を含めて、奈良には都道府県単位では最多の3つの世界遺産があります。法隆寺地域の世界遺産以外には、東大寺や春日大社など平城京の歴史に関わる「古都奈良の文化財」と、高野山や熊野古道などで知られる「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録されています。
2. 世界遺産に登録された理由
ここでは、法隆寺地域の仏教建造物がどのように評価されて登録に至ったか紹介します。
該当する評価基準
世界遺産として評価された点は、日本仏教において最初期の建築であることや、その後日本において仏教文化が発展する契機となったことなどが挙げられます。10ある世界遺産登録の評価基準のうち、以下の4つが該当しています。
- 人類の創造的才能を表現する傑作
- 人類の歴史上、重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例
- 技術の発展に重要な影響を与えた、ある期間の価値観の交流を示すもの
- 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの
日本最初期の仏教建築
世界遺産に登録された大きな理由の一つとして、世界最古といわれる木造の仏教建築物であることが挙げられます。およそ1300年前に建てられたとは思えないほど、保存状態が良好であることに加え、デザインや装飾も美しく人類の創造的才能を表現していると評価されています。
また、建築方法についても中国や朝鮮地域から伝わりましたが、法隆寺の金堂、五重塔、回廊などの工法は中国や朝鮮にも残存しない、古代の仏教建築様式です。古いものは7世紀に建てられたもので、その他の境内の主要な建築物は8世紀から13世紀に建造されました。さらに17世紀から19世紀にかけての建物も残されていて、日本の仏教建築の変遷を感じられることも法隆寺地域の特徴と言えます。
日本の仏教文化への影響
法隆寺地域の建造物は、中国の仏教建築の様式と、塔やお堂の配置方法である伽藍配置(がらん)が日本に取り入れられ、その後日本特有の様式を発展させたことを示しています。
具体的には、俗世との境界を表す山門、本尊を祀る金堂、学習の場である講堂、僧の住居である食堂(じきどう)など、現在でも一般的な寺院の原型が残されています。時代や宗派によって建物の名称や配置は異なりますが、法隆寺地域の形式をもとに、全国に寺院の数は増えていきました。
また、法隆寺を建てた聖徳太子の存在も重要視されています。大陸との交流の中で仏教を持ち帰って、十七条憲法をはじめ政策にも取り入れるなど、日本で仏教が広まる過程で大きな役割を果たしたと評価されています。
古都奈良の文化財と共に登録されていない理由
法隆寺地域と古都奈良の文化財ともに、古代における仏教にまつわる史跡が登録されていますが、なぜ一緒に登録されなかったのでしょうか。その理由には時代背景と評価されたポイントの違いがあります。
時代背景の違いとしては、法隆寺地域は斑鳩宮(いかるがぐう)という宮殿が造営され、聖徳太子や推古天皇が活躍した7世紀の史跡が登録の対象になっています。一方で、古都奈良の文化財では平城京の造営にともなって建てられた8世紀の寺社仏閣が主な登録の対象となっています。
評価されたポイントの違いについては、法隆寺地域は中国や朝鮮の影響を受けた日本における初期の仏教建築であるとされ、建築群の文化財として価値が強調されています。しかし、古都奈良の文化財では、仏教建築も含まれているものの、風水思想に基づいた都市計画や現在でも影響力のある宗教都市であるなど、都市機能が重視されている点で差異があります。
3.構成資産

地図データ ©2023 Google
ここでは「法隆寺地域の仏教建造物」の具体的な構成資産の特徴を紹介します。構成資産は2つで、数キロ程度の範囲にあるため、1日で全て訪問することができます。最寄り駅の法隆寺駅からは徒歩で20分程度ですが、バスも発着しているので旅行者の体力に応じて利用しましょう。
法隆寺地域には、大阪市や奈良市などの近隣都市から1時間程度でアクセス可能なため、聖徳太子にゆかりのある四天王寺や、「古都奈良の文化財」の構成遺産の寺院、さらには奈良県内の「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産など周辺の名所への立ち寄りもぜひ検討してください。
法隆寺
法隆寺は607年に、聖徳太子と推古天皇によって創建され、古くは斑鳩寺(いかるがでら)とも呼ばれました。宗派は聖徳太子を開祖とする聖徳宗に属していて、法隆寺はその総本山です。670年の火事によって消失しましたが、7世紀末頃に再建されました。世界最古の木造建築群といわれており、国宝・重要文化財の建築物が55棟があるほか、約3,000点にも及ぶ優れた仏教美術品が存在します。
約19万㎡もの広大な敷地があり、境内は西院と東院と呼ばれる二つのエリアに分かれています。見学には入場料が必要で、所要時間としては1時間半~2時間程度を見込んでおく必要があります。
法起寺
法起寺は世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」のもう一つの構成資産です。聖徳太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)が638年に創建しました。当時の有力な豪族である蘇我氏との争いによって自害に追い込まれましたが、天皇の有力候補として活躍した人物でした。
法起寺の宗派は法隆寺と同じく聖徳宗に属しています。金堂と塔の位置が法隆寺と逆になっている法起寺式と呼ばれる伽藍配置に特徴があります。高さが約24mの三重塔は、706年に建てられた日本最古のものであることから、世界遺産の登録対象として選ばれました。法隆寺には奈良時代には繁栄したものの、平安時代以降は衰退したため、当時から残る建物は少なく、江戸時代に再建されたものがほとんどです。見学には入場料が必要で、所要時間としては15分~30分程度を見込んでおきましょう。
4. おわりにーガイドする上でのポイントー
法隆寺地域の世界遺産について紹介しました。境内の仏教建築が最大の見どころではありますが、旅行者を案内する際には日本への仏教伝来から派生して、その後の発展や海外の仏教との違いについて押さえておくとよいでしょう。
日本への仏教伝来については、インドからはじまり、中国や朝鮮を経由して伝わり、聖徳太子による国境などによって布教され、その後神道と交わって発展していったという一連の歴史を伝えると法隆寺地域の重要性を際立たせることができます。
また、中国やタイをはじめ、現在でも仏教徒がいる地域との信仰の形態の違い、仏像や建造物の特徴を比較すると、日本仏教の特徴を伝えることができます。
ガイドナビでは、寺院での案内方法や奈良県内の世界遺産など関連性のある記事も掲載しているので、そちらもあわせて参照してください。