こんにちは。フランス語全国通訳案内士の杉原正志(すぎはら ただし)と申します。京都生まれ、京都育ちです。2009年に27歳で通訳案内士になり、幸運にもたくさんのお仕事や貴重な出会いに恵まれて、現在に至ります。ガイドの仕事が好き、お客様とのふれあいが好き、そして今では、不規則なスケジュールで家をしょっちゅう留守にしていても、理解して支えてくれる妻や、家で帰りを待ってくれている子どもたちに感謝しています。
ガイドになりたいと思ったきっかけは、大学生4回生のとき、就活後に始めた留学生のチューター活動でした。カリフォルニア大学から私の大学に来ていた20人ほどの学生のお世話をしているうちに、語学で人の役に立つ仕事がしたい、と思うようになり、転勤が入社条件に入っていた翌年4月入社内定の会社を辞退。就活をやり直し、勉強できる時間が持てる地元の企業に就職しました。その決断がやっとできたのは4回生の秋で、既に内定式も終わっており、当初の会社の人事の方には大変なお叱りを頂いたことを今でも覚えています。
私は2つ以上のことを同時にこなせるほど器用ではなく、それから5年間続いた、通訳案内士試験の勉強をしながらのサラリーマン時代は、本当に、本当に毎日つらかったです。
試験に合格し、ガイドの道を歩み始めたときは「これから次の5年間はどんな大変な仕事でも断らずにすべて受けよう」と心に決めました。中には、いろんな意味でつらい案件も多々ありましたが、その期間に目一杯がんばったおかげで、案件ごとの性質や、旅行の成り立ち、がんばって勉強するべき分野、あるいは、冷静になって判断しなければならない状況など、フリーランスのガイドとして身につけるべき感覚をどんどん吸収できたと思います。
実は、この原稿を書かせて頂いているのは、120人超えの大型団体のツアーが終わった帰りの新幹線の中です。みなさまは、個人のお客様と、団体のお客様と、どちらのご案内が好き・得意でしょうか? もちろん、それはどちらが好きで得意でも良いと思います。私も、最初の5年間は20〜30代のバックパッカー、サイクリングガイド、オプションや1日〜数日単位のエクスカージョンが中心だったのに対して、6年目以降は、インセンティブ、CE、クルーズ乗船といった、大人数をご案内する案件中心へとシフトしていきました。
私が今、41歳になって思うことは、20〜30代の若い世代にもっとガイドの世界へ挑戦してほしい、そして、60代〜の大先輩ガイドの方々にとって、安心していつまでも仕事ができるガイド界であってほしいと思います。そのために大切なこと、それは、旅行に携わるすべての人が、自身が働いていて楽しく、且つお客様に楽しんで頂こうという思いを持ち、それぞれの腕や技を磨くことです。
旅行とは、人です。
ガイドの仕事に100点はありません。こちらがサービスとして生み出すものも、それをご提供するお相手も、人間だからです。すこしの風向きの違いで、ほんの数分のタイミングの違いで、入念に下見したコース上のたったひとつの見落としで、たったひとつの単語を使い方で、お客様の心象を良くも悪くもします。それでもこちらはプロとして、用意してご提供するものには、100点をつけられる自信と準備が必要です。
私が子どもの頃、好きで観ていたTVドラマに、いかりや長介さんが演じた役のこんな台詞がありました。
「強くなるということは、鈍くなるということです。人は、強くならなくたっていいんです」
もし、ガイドの仕事でつらい経験をされたら、どうかひとりで悩まず、ご家族やご友人、または秘密を守ることができる、あなたの考えを尊重してくれるガイド仲間に相談してください。上述の「いつまでも働けるガイド界」をつくるもうひとつのポイントは、風通しの良い環境をつくることだと思っています。もちろん、これからご縁があって、この記事をお読み頂いているみなさまとお仕事や現場でご一緒できたなら、何でも相談しあえる関係を築いていけたらと願っております。
最後になりますが、2022年夏に、フランスで著書を出版させて頂きました。タイトル は『Visitez le Japon au fil de son histoire』で「日本史といっしょに日本を旅しよう」という意味です。
日本史全体(旧石器時代から令和まで)の解説と、各時代ごとに関係のある日本各地の観光スポット紹介を取り入れた作品です。よろしければ、ぜひ外国語書籍を扱っている書店、インターネット等でお求めください。
次のガイドの輪リレー走者は、ガイド仲間で英語の森聖太さんです。どうぞご期待ください。
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