【宗教】日本におけるキリスト教の伝来から現代までの歴史

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1. はじめにー観光としてのキリスト教の教会ー


キリスト教の教会は信者たちが礼拝や集会を行う施設ですが、観光として訪問する人も多くいます。海外においては、フランスのモンサンミッシェル、スペインのサグラダ・ファミリア、ドイツのケルン大聖堂などが代表的なものです。
日本を訪れる旅行者においても同様のことが考えられます。この記事では日本国内にある教会を案内する際に役立つ、日本のキリスト教の歴史と観光におけるポイントを解説します。

日本のキリスト教徒

日本におけるキリスト教の歴史に入る前に、現在のキリスト教の概観について紹介します。キリスト教徒は世界の宗教において最も信仰者が多く、その数は24億人とも言われています。そのうち日本では100万人程度のキリスト教徒がいます。宗派としては、カトリック系(約40万人)、プロテスタント系(約60万人)、正教系(約1万人)などに分かれます。
日本国内のキリスト教徒を地域別に見ると、東京、神奈川、大阪といった大都市で多い傾向にありますが、長崎が5位であることが特徴的です。実はこれにも歴史的背景が影響しています。

2.日本におけるキリスト教の歴史 ①伝来期


キリスト教が日本に伝来し、近代に信教の自由を得るまでの一連の流れを紹介します。日本におけるキリスト教の歴史は、戦国時代の伝来期、戦国時代末期から江戸時代にかけての禁教期、明治時代以降の解禁後の3つに大きく分けることができます。

日本のキリスト教の歴史は、室町時代に遡ります。16世紀半ば、フランシスコ・ザビエルによる布教が始まりです。ザビエルは1549年に鹿児島へ上陸し、九州を中心に布教活動を行いました。
ザビエルを中心としたイエズス会の宣教師たちは、日本人と衝突しながらも、各地の大名からの信頼を得て、信者を増やしていきました。キリスト教の理念に惹かれ、入信した大村純忠(すみただ)、有馬晴信、小西行長などのキリシタン大名も登場しました。その中にはポルトガルとの貿易による経済的利益と、当時における最新の武器であった鉄砲の獲得を目的とした大名もいました。また、当時の権力者である織田信長はキリスト教に入信はしなかったものの、キリスト教を保護し、西洋の文化を積極的に取り入れました。この背景には石山本願寺や比叡山延暦寺などの仏教勢力との対立があったと言われています。

3.日本におけるキリスト教の歴史 ②禁教期

16世紀後半、豊臣秀吉が天下を取ってから、それに続く江戸幕府の時代にかけて禁教の時代に入っていきました。

秀吉は、南蛮貿易の利益も重視しており、キリスト教を容認していました。しかし、キリスト教の拡大や信徒による反乱を恐れて、1587年にバテレン追放令を発して宣教師を追放して以降、次第に厳しい態度を取るようになりました。

特にキリスト教徒を捕らえて、長崎で処刑した1597年の「二十六聖人の殉教」は象徴的な出来事です。ちなみに、彼らは日本で最初の殉教者として、後にカトリック教会に貢献した聖人として認定されています。

続く徳川家康の時代には一時的に布教は認められましたが、1610年代以降、江戸幕府は禁教令を出しました。当初、禁教令は直轄領の家臣などに限定されていましたが、後に全国に広め、スペイン船の来航を禁止するなど、段階的に厳しい対応を取りました。
そのような時代に起こったのが1637年の島原・天草一揆(島原の乱)です。一揆が起きた島原・天草地方は、キリシタン大名の有馬氏と小西氏の領地だったためにキリシタンが多くいました。禁教政策に反発した3万人が原城に立てこもりましたが、幕府から派遣された12万の軍勢によって一揆は鎮圧され、その後、ポルトガル船の来航が禁止され、幕末まで続く鎖国体制が完成しました。

キリスト教が禁止された後、幕府は信者を探し出すため、民衆たちに踏み絵を踏ませました。そのような取り締まりにもかかわらず、九州などでは信仰が密かに継承されていました。いわゆる隠れキリシタンと呼ばれる人たちです。彼らは仏教徒を装って信仰を守っていました。例えば、慈母観音像を聖母マリアとみなしたり、仏壇の裏にキリスト教の肖像画をかけるなどの工夫が行われていました。

4.日本におけるキリスト教の歴史 ③解禁後


1853年、神奈川県の浦賀沖に黒船が現れました。この船に乗っていたアメリカ海軍の提督・ペリーは日本に開国を迫りました。幕府は要求を飲んで日米和親条約に基づいて港を開きました。他の西洋諸国もその動きに続き、鎖国体制は終わりを迎えました。
幕府は倒れ、明治時代になってもしばらくはキリスト教は禁止されていました。しかしながら、日本に居住していた西洋人をはじめ、諸外国の政府からの批判を受けて、1873年(明治6年)に禁教令が解かれました。

この時代から完全ではないものの、信教の自由が法的にも保障され、日本での布教が再開されました。開国後、各地の港には外国人居留地が作られ、教会も建てられました。宣教師たちも来日し、カトリックだけでなく、プロテスタントや正教会も含めた各派が信者を増やしました。
国内にキリスト教が広まるにつれて、キリスト教の習慣が文化として定着します。クリスマスツリーを飾り、プレゼントを送るといったクリスマスの過ごし方や、神父や牧師の前で永遠の愛を誓う結婚式の形式などは代表的なものです。

5.観光におけるポイント

ここでは、キリスト教に関連する観光スポットについて紹介します。案内する場所としては二種類あります。一つは、世界文化遺産にも選ばれた潜伏キリシタン関連遺産を案内する場合。もう一つは、各地に残る教会建築を案内する場合です。

潜伏キリシタン関連遺産

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、2018年に世界文化遺産に登録されました。長崎の大浦天主堂、天草の﨑津集落など、12の構成資産があります。長崎や天草地方は、戦国時代にキリスト教が伝来してから、江戸時代の禁教期においても信仰が守られてきたため、キリシタンの史跡が多く残されています。世界遺産への登録に際しても、密かに信仰し続けていた文化が評価されているほか、日本とヨーロッパの建築技術が融合した教会建築であることも重要な点です。
広範囲に資産が点在するため、訪問する際にはスポットに優先度をつけながら、滞在日数を決める必要があります。特に五島列島の史跡は離島にあるため、本土からのアクセスはもちろん、島と島の移動にも船や飛行機を利用しなくてなりません。加えて、教会を見学するには予約が必要な場所もあることや、見学できる日時にも制限があることも注意が必要です。

各地域の教会建築

鎖国が終わり、近代にキリスト教が解禁されて以降、日本各地でキリスト教の布教活動が再開されました。長崎、横浜、函館など開港されて外国人居留地ができた街では数多くの教会が建てられました。横浜の横浜指路(しろ)教会や函館のカトリック元町教会などが例として挙げられます。
また、キリスト教布教の過程で、学校を運営する人たちも登場しました。例えば、キリスト教の教育者として活躍した新島襄(にいじまじょう)は、京都の同志社大学を1875年に設立しました。また、東京の上智大学はフランシスコ・サビエルも所属したイエズス会によって1913年に設立されました。

6.おわりにー教会見学のマナーー

旅行者をキリスト教の教会へと案内する際には、上記で紹介したキリスト教の歴史と観光におけるポイントを理解した上で案内しましょう。また、観光客を受け入れている教会であっても、以下のようなマナーを守る必要があります。

  • 服装は平服でも問題ないが、過度な肌の露出は避ける
  • 祭壇は神聖な場所なので、絶対に立ち入らない
  • 飲食や喫煙はしない
  • 大きな声での会話は慎み、静かに過ごす
  • 写真撮影は許可されている場合以外は避ける
  • 携帯電話はマナーモードにする

最後にガイドナビでは、この他にもイスラム教徒やヒンドゥー教徒への対応に関する記事も掲載していますので、キリスト教以外の宗教に対する知識もあわせて確認するようにしましょう。

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