目次
はじめにー神戸港の基礎知識ー
神戸港は兵庫県神戸市にある港湾で、日本を代表する国際貿易の拠点です。造船や鉄鋼などの産業が発展していて、大都市・神戸の経済を支えています。美しい港町の風景や外国文化が入り交じった独特の街並みなどが特徴的な人気の高い観光エリアでもあります。
この記事では神戸港の魅力を伝える上で知っておきたい以下の3つテーマについて解説します。
- <テーマ1> 数奇な運命をたどり開かれた港
- <テーマ2> 異国情緒あふれる街並み
- <テーマ3> 日本の暮らしを変えた外国文化
神戸港の範囲
各テーマに入る前に神戸港の範囲について知っておきましょう。一般的に神戸港と言った場合には、観光地として有名なメリケンパークからハーバーランドまでの範囲を指すことが多いです(地図①)。貿易港としての役割で見た場合には、西は兵庫運河(兵庫津周辺)から東は六甲アイランドまで神戸市の広範囲に渡ります(地図②)。さらに範囲を広げると、近隣の尼崎市や西宮市の港や、大阪港、堺泉北港などと合わせ、阪神港と呼ばれることもあります(地図③)。この記事では、②の範囲で神戸港について解説します。
<テーマ1> 数奇な運命をたどり開かれた港
神戸港について紹介する際、開港後の現在に至る街の発展について説明することが多いですが、開港以前の歴史についても押さえておくと良いでしょう。小さな村だった頃の様子や幕末に神戸港が貿易港として選ばれた背景や、さらに時代を遡って地域の交易拠点とだった兵庫津に関連する歴史を知っておくと、一連の流れが理解ができます。
兵庫津の歴史
兵庫津とは神戸市南部、兵庫区にある港です。観光地として有名な神戸港より西に位置します。 六甲山系によって季節風が遮られ、西からの波は岬によって防がれ、水深にも恵まれていたことから、古くから地域における重要な港として発展してきました。
歴史を辿ると、奈良時代に整備された大輪田泊(おおわだのとまり)に起源があります。日本国内の東西航路や大陸交易の拠点として古くから栄えてきました。遣隋使・遣唐使の時代を経て、平安時代末には平清盛によって港の修築が行われ、人工島「経が島(きょうがしま)」が建設されて日宋貿易の拠点となりました。
その後、鎌倉時代に活躍した僧侶・重源による改修を経て、「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれるようになりました。また室町時代に、兵庫津は日明貿易の拠点として国際貿易港としての地位を築いていました。
室町時代にも、勘合貿易の国際港として栄え、江戸時代には北海道や日本海沿岸の都市を結ぶ北前船の発着港として兵庫津は発展しました。近代以降には神戸港に国際貿易港としての地位を譲ったものの、運河が整備され、昭和初期には工業地帯として栄えました。
兵庫津について紹介する場面は、主に2つに分かれます。市街地などで神戸港の歴史について説明する時と、実際に兵庫津周辺を訪れた時です。いずれの場合でもターゲットとなる旅行者は、国内外を問わず日本の歴史にある程度知識の持った人となるでしょう。
市街地では、神戸市立博物館や神戸海洋博物館などを訪問した際、平清盛が兵庫津(大輪田の泊)で日宋貿易を行ったという歴史的事実を述べるだけではなく、なぜ兵庫津に注目をしたのか、貿易を行うに際してどのように港を整備したのかなど、一歩踏み込んだ歴史的背景を伝えると旅行者の理解を深めることができます。また、平清盛の紹介から平家の歴史に説明が派生する場面も出てきます。一ノ谷の戦いなど、須磨周辺の関連する史跡についても情報収集が必要です。
兵庫津周辺を訪れた際には、兵庫運河や能福寺などを案内する際に解説することが考えられます。上記で紹介した大輪田泊のストーリーに加えて、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」の構成資産の一つとして紹介することもあります。北前船の交易における兵庫津における役割をはじめ、北前船の交易の全体像や他の地域の港についても解説しましょう。
神戸港開港の歴史
幕末の時代に日本は、米英仏露蘭の5か国と修好通商条約を締結しました。それを受けて兵庫津が貿易港として定められました。しかし、周辺の海域を測量したところ、神戸の入り江の方が港に適していると判断され、当時小さな村に過ぎなかった神戸に居留地が設けられました。
開港後、多くの外国人が神戸に移り住みました。港の役割も次第に大きくなり、産業も発達しました。造船、鉄鋼、機械、ゴムなどの工業をはじめ、アパレルや靴、洋家具、洋菓子など、西洋の生活文化の影響を受けた産業も成長しました。その結果、世界有数の貿易港として成長し、1970年代にはコンテナ取扱個数は世界一を誇りました。1995年の阪神・淡路大震災で、神戸港を含めて街全体が大きな被害を受けました。それでも復興遂げた神戸市は現在でも全国有数の経済都市として繁栄を続けています。
旅行者に神戸港の歴史を話すときは、当時揺れ動いた江戸幕府の動きも解説する上で重要です。ペリーの黒船来航からはじまり、尊王攘夷運動や薩長同盟など、大きな日本史の流れを踏まえると、神戸港開港の意義を面的に説明できるようになります。ただし、旅行者の知識レベルや興味に応じて話す内容の深さや情報量を変えるようにしましょう。
<テーマ2> 異国情緒あふれる街並み
旧居留地や北野には西洋風の建築が残されていて、神戸を代表する観光エリアです。それらが形成されてきた経緯を辿ると、国際貿易港としての神戸港の役割が関わってきます。港の近くに外国人居留地が整備され、文化が混じり合い、造船や鉄鋼をはじめ様々な産業が発展し、日本を代表する国際都市として神戸は発展しました。
旧居留地エリア
このエリアで押さえておきたい知識として、神戸港が開かれ外国人居留地が整備されていった経緯があります。1868年に神戸港が開かれたことに始まり、外国人居留地がどのような位置づけで、どのように街並みが整備されていったのか、あるいは日本人との交流はどのようになされていたのか、開港当時の様子を旅行者に伝えましょう。
洗練されたデザインの建築は、国内外問わず若い女性旅行者を中心に人気が高いです。注意点としては、多くの建物がオフィスビルとして活用されていることから、館内への入館ができないものがあることです。
また、建物と一緒に旅行者を撮影することもあります。インターネットで建物が美しく撮影できる画角を事前に調べておくと良いでしょう。例えば、旧居留地38番館、旧居留地15番館、商船三井ビルディングなどは人気の高い撮影スポットです。一つの建物でも様々な角度から撮影可能なので、写真を重視される旅行者を案内する際には滞在時間に余裕を持っておいた方がよいです。
さらに、旧居留地を案内した後には旅行者の好みに合わせて次に訪問するスポットも準備しておきましょう。買い物をしたい旅行者には元町商店街や神戸大丸を、食の関心が高い旅行者には中華料理のテイクアウトが楽しめる南京町を、港の景観を楽しみたい方にはメリケンパークを紹介しましょう。
北野エリア
北野エリアは神戸港の発展とともに旧居留地エリアが手狭となったために、新たに居住できる場所として認められました。外国人が多く居住していたことから異人館と呼ばれる西洋風建築が多く、キリスト教の教会やイスラム教のモスクなどの宗教施設も点在しています。特に異人館については館内を公開している施設も多くあるので、それぞれの特徴や体験できる内容、入館料などを調べた上で旅行者を案内する場所を決めましょう。
特に欧米圏の旅行者を案内する上では、旅行者の出身国に関する建物を紹介すると良いでしょう。例えば、風見鶏の館は貿易商として活躍していたドイツ人によって建てられました。第一次世界大戦によって人生を翻弄された家族の物語は、旅行者を案内する上でぜひ紹介したいポイントです。当時のドイツと日本の関係、あるいは現在の両国の関係まで含めて説明すると、より日本に関心を持ってくれることでしょう。建築の様式も住んでいた方の出身国によって異なることも多いので、建物ごとの特徴を比較しながら紹介すると、より北野エリアの魅力を伝えることができます。
また、この地域は高低差のある高台にあるため、訪問する際には坂を昇り降りする必要があり、旅行者の負担になる可能性もあります。加えて、三ノ宮駅や新神戸駅などの主要な駅からもやや離れた位置にあるので、他のスポットへの移動時間を考慮した上で旅程を組むようにしてください。
<テーマ3> 日本の暮らしを変えた外国文化
近代に神戸港が開かれると、海を越えて多くの外国人が神戸にやって来ました。異文化と混じり合う中で、日本の暮らしに変化が起き、現在では神戸を代表する観光資源になっているものもあります。新たな食文化ができたほか、海外との貿易が活発になったことで様々な産業も生まれました。そのうちの一つが洋服などに代表されるファッション産業です。
食文化の発展
神戸で発展した食文化を紹介する上で、どのような形で西洋の食文化が取り入れられ、神戸に根付いて、現在の形まで発展してきたのか、その変遷を押さえておく必要があります。
神戸の食と言えば、神戸牛があります。開港されて間もない頃、神戸にやってきたイギリス人が農作業用に飼育されていた牛を食べ、その味を絶賛しました。西洋人たちの間で神戸牛が広まり、同じ時期には日本国内で牛肉を食べることが流行したため、神戸では肉牛の生産が盛んになりました。
神戸牛に限らず、神戸では西洋の影響を受けた食文化が発展しました。洋食が代表例です。神戸港を発着する海外航路が整備されると、外国人を対象としてホテルや国際船で働く料理人たちが増えました。彼らは西洋料理を学んだ後に、神戸市内で自分のお店を開きました。日本人の口に合うように開発されたのがビーフシチューやオムライスで、それらは大正時代になると、神戸の洋食として普及しました。
以上のような歴史的な変遷を紹介した上で、神戸牛や神戸の洋食を旅行者に味わってもらいましょう。神戸牛を味わう際、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶなど、食べ方も様々です。金額に関しても、カジュアルな肉寿司のテイクアウトであれば1,000円程度で済みますが、ステーキのコース料理などでは数万円程度になる可能性もあります。旅行者の予算を把握した上でお店を選ぶ必要があります。神戸の洋食については、伊藤グリルやグリル一平などの洋食専門店もあります。上記の歴史に加えて、ハンバーグやコロッケなどの洋食が家庭に根付いていることも紹介しましょう。みなさん自身がどのような頻度で食べるか、あるいは調理をするかといった話を伝えると、より興味深い解説となります。
神戸のファッション産業
神戸では様々な産業が発展してきましたが、洋服、靴、洋家具などのファッション産業も発達しました。いずれも居留地に住むようになった西洋人との関わりが深いです。日常で使用するなかで、服、靴、家具は補修・修理などが必要となります。着物、草履などの職人たちは試行錯誤をしながら、それらを製造する技術を身につけていきました。
明治時代から洋装や西洋風のライフスタイルが日本で普及していく中で、ファッション産業は神戸を代表する産業として定着しました。そのような土壌があり、アシックスやワールドのように日本を代表する企業も誕生しました。一方で永田良介商店のように当時と変わらず地域に密着した企業もあります。
旅行者を案内する際は神戸のファッション産業における変遷を伝えつつ、日本全体のファッションの変化も紹介しましょう。平安時代、江戸時代、近代など、時代ごとの装いの移り変わりについて調べておきたいです。装いの変化は話だけで伝えるのは難しいので、写真や絵など視覚的に理解しやすい資料を準備しましょう。
また、現在の神戸のファッションを知るためには、街を歩けば洋装が定着していることを旅行者は実感できます。よりトレンドを感じるためには、おしゃれをして出かける場所として位置づけられるメリケンパーク周辺や、若い女性向けのお店が集まっている乙仲通りを訪問するのがおすすめです。靴や洋家具は神戸の地場産業として現在でも知名度が高く、旧居留地の近くにある永田良介商店や新長田のシューズプラザなどを紹介してもよいでしょう。
このほか神戸を取り上げた記事は、六甲山や阪神淡路大震災などがあります。また、近現代の日本の食文化を取り上げたものもありますので、興味のある方はそちらも参照してください。