【歴史】知っておきたい北海道の先住民族・アイヌの歴史

ナレッジ

1. はじめにーアイヌ民族を理解する意義ー


アイヌ民族は北海道にいる日本の先住民族として知られていますが、歴史的には東北北部、樺太、千島列島など広い地域で暮らしてきました。13世紀頃から独自の文化を成立させ、日本の多数派を占める和人(大和民族)とは異なる文化を育んできましたが、近代以降には和人に領土を奪われ、差別を受けてきたこともあります。

現在では北海道を中心として約1万3000人程度のアイヌ民族がいると言われています。固有の言語や風習などが失われつつあり、国立アイヌ民族博物館を備えた施設(ウポポイ)が整備されるなど、アイヌ文化の保護が進んでいます。

ガイドが北海道の歴史や文化を旅行者に案内する際、大きなルーツにもなっているアイヌの人たちについても理解を深めておく必要があります。この記事ではそのような場面で役立つアイヌ民族の歴史について紹介します。

2. アイヌ文化の成立まで(縄文時代~鎌倉時代)


アイヌの特徴の一つとして、「縄文人の特徴を色濃く受け継ぐ人々である」ことが挙げられます。北海道では、冷涼な気候から米の栽培に適していなかったため、稲作を中心した弥生文化が発展せず、それまでの縄文時代に似た暮らしが続けられていました。
また、和人と比較すると中国や朝鮮からの渡来人との関わりが少なかったことから骨格や肌の色などの身体的特徴に違いがあることからも、縄文人の特徴を受け継いでいるとも言われます。現在では和人との混血が進んだことからそれらの差は少なくなっているそうです。

7世紀になると、縄文土器に変化が見られます。木のへら擦った文様、擦文(さつもん)が特徴の土器が作られました。この時代を「擦文時代」と言います。擦文時代の北海道の人々は、狩猟の他にアワやヒエといった雑穀を育てていたとされています。

13世紀には擦文文化から「アイヌ文化」へと移り変わっていきました。アイヌ文化は擦文文化や、アザラシなどの海獣の狩猟や漁業を基盤とする北からのオホーツク文化を原型に、南(本州)からの和人の文化の影響も受けながら生み出されました。

3. 和人との貿易と争い(鎌倉時代~江戸時代)

和人との貿易

鎌倉時代後期(13世紀から14世紀前半)頃には、アイヌ民族を指す言葉として、「蝦夷(えぞ)」が使われるようになり、多くのアイヌが住んでいた北海道は蝦夷が島、蝦夷地と呼ばれていました。この時代から和人との関わりが深くなります。

アイヌ民族と和人との間では物々交換による貿易が、鎌倉時代から江戸時代にかけて行われました。アイヌ側からは乾燥させた鮭やニシンなどの海産物やヒグマなどの獣の皮、鷹の羽根などが、和人側からは米や木綿製品、漆器や鉄製品や武具などがそれぞれ輸出されました。この貿易の中でアイヌ民族との貿易を監督したのは、安東氏や蠣崎(かきざき)氏といった武士であり、彼らは青森県津軽地域や道南地域にアイヌとの貿易拠点を築き繁栄し、次第に力を持つにようになりました。

アイヌと和人の戦い

アイヌと和人は経済的な関係を築いた一方で争いも発生しました。1456年にはアイヌ民族の若者と和人の鍛冶屋の揉め事から、コシャマインの戦いが発生します。この時期、北海道には和人の拠点が12箇所ありましたが、アイヌ側の指導者で道南の渡島(おしま)半島を治めていたコシャマインが活躍して10箇所の拠点を落としましたが、蠣崎氏の武将によって討たれ、戦いが終わりました。

その後、アイヌ民族と和人の戦いは、約100年に渡り断続的に行われることとなります。長期に及ぶ戦いの原因はアイヌ民族と和人の間の政治的、経済的な不和にあったとされています。これらの戦いで蠣崎氏はアイヌ側の指導者をだまし討ちすることで、北海道の支配者としての地位を固めていきました。

江戸時代には、松前氏(蠣崎氏より改姓)によってアイヌ民族との貿易は独占されました。しかしながら、松前氏から一方的に貿易先を制限されたうえ、物々交換の交換レートもアイヌにとって悪くなっていきました。そのような背景の中、1669年にはシャクシャインの戦いが発生します。悪化するアイヌと和人の関係の中で蜂起した、日高地方とその周辺地域の指導者であるシャクシャインの呼びかけによって、2,000人以上のアイヌ民族が立ち上がりました。しかし、鉄砲など装備の違いにより劣勢となり、最終的にはシャクシャインは和睦の席で謀殺され、戦いが終わりました。この後、松前氏はアイヌ交易に対して絶対的な主導権を握りました。

4. 同化政策と保護政策(明治時代~現在)

同化政策による文化の衰退

幕末以降アイヌ民族を取り巻く環境はさらに悪化します。江戸時代まで蝦夷地はアイヌも和人も住んでいましたが、両者ともこの地域が国や領土であるという考え方を持っていませんでした。しかしながら、ロシアの千島列島への進出をきっかけとして、和人は領土を強く意識するようになり、政治の実権が明治政府へと移った1869年に、蝦夷地を日本に編入し「北海道」と改称しました。
ここから、日本の近代化のための資源開発を目的とした北海道の開拓が始まりました。札幌や小樽を中心として、道路、港湾、鉄道の整備、鉱山の開発、工場の設立が行われ、北海道の産業が発展しました。

開拓が進む中で、和人の大規模な移住が行われ、アイヌ民族の土地が奪われました。アイヌの生活が困窮したことから、明治政府はその解消のための保護政策を取ってきましたが十分な成果を上げられませんでした。農業の奨励、生活扶助、教育など、より効果的な施策を実行するため、1899年に「北海道旧土人保護法」が制定されます。実態としては日本語使用が義務化され、アイヌ固有の風習が禁止されたこともあり、アイヌ民族の文化は急速的に衰退しました。

文化の保護へ

北海道旧土人保護法が同化政策の根拠になっていたことや、アイヌの人たちによる活動によって文化の保護政策を求める世論が高まった結果、1997年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ文化振興法)」が新たに作られました。これによりアイヌ文化の伝承活動は広がりましたが、生活格差の是正や差別の解消などの課題は残されたままでした。
そのため、アイヌの人たちによる運動は続けられ、2008年には「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択されました。また、2019年には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ施策推進法)」が成立しました。これらを受けて、先住民族であるアイヌの文化の復興を目指し、差別のない多様で豊かな文化を持つ社会を築いていくための拠点として、ウポポイ(民族共生象徴空間)が2020年に開業しました。

アイヌ民族の人々が民族としての誇りを持って生活することができる社会の実現が求められていますが、長い同化政策の中で従来のアイヌの生活をする人やアイヌ語を話せる人、アイヌ民族に帰属意識を持つ人は大変少なくなりました。正確な統計はないものの、現在、アイヌの人は1万3,000人程度いると考えられています。多くの人は北海道に居住していますが、関東地方など日本各地やロシアにも住んでいるそうです。

5. おわりにーアイヌ民族に関する観光ー


ここまでアイヌ民族の歴史について紹介しました。北海道ではアイヌ民族に関連した観光ができる施設があります。特に白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)が代表的なものです。施設内にあるアイヌ民族国立博物館ではより詳しいアイヌの歴史や文化を学べ、体験交流ホールではアイヌの伝統的な踊りや民族楽器の演奏の体験ができるなど、アイヌの人たちが育んできた文化を堪能することができます。
このほか、札幌、平取町、釧路など、北海道の各地でアイヌに関する展示や工芸品の製作体験などを楽しめる施設もあります。

ガイドナビでは、言語や信仰、生活など、アイヌの人たちの文化を解説した記事もありますので、あわせて活用ください。

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